なぜ同じ人間で差ができるのか、いやそれは本当に差なのか

代表の佐藤です。

佐藤は市販車をベースにした自動車のレースをしています。

その中で大切にしているのが、人に教えを乞うことに抵抗を無くすことです。
先日もプロレーサーに教えてもらいにでかけました。

プロとの差はやはり大きいですね。
圧倒的に自動車に乗る経験・時間の差があります。
とてつもないスピードとGのかかるレーシングカーから、素性の分からないお客さんのチューニングカー、新車などまで、あらゆる車種に乗って、クライアントの希望・要望以上の結果を出すことを生業としているのですから、当たり前といえば当たり前です。

逆に、プロレーシングドライバーが我々の稼業でいきなり成果出せと言われてもできませんから、「餅は餅屋」ということですね。

レクチャーを受ける際に、プロの操作を一生懸命真似しようとする人がいます。
でもそれではうまくいきません。

実は小手先の技術の差ではないんです。

見ているものが違う、考え方が違う、感じ方が違う。
だから結果的に技術、操作に差ができるのです。

よってその特に感性の部分を体に入れることができると、プロに勝てるまでは行かないもののかなり近い次元まで持ち上げることができます。

それを維持するのが大変なのですが。。。

人類全体としても同じことが言えるんです。

近年、歪んだナショナリズムから隣国人を揶揄したり、日本人は優れているといったことを主にSNS上で発言するのを多く見かけます。

本来のナショナリズムとは、家族愛・郷土愛から発した言語・歴史・文化を共有する「国民国家」に価値観を置く考えであって、そこに他国の事情を排外的に扱ったり、見下して優位に立とうとするようなものではないはずです。

やはり失われた30年で相対的に日本のポジションが下落してきて自信を失っている部分が多いのでしょうか。

人の潜在能力というのはわずかな差でしか無いと考えます。
向き不向きというのは必ずありますから、同じ訓練を受けて同じ結果が出るものではありませんが、発明王トーマス・エジソンの言葉のように、「99%の努力と1%の閃き」というだけのことではないでしょうか。

ではなぜ〇〇人は優れている、劣っているといった言説が生まれてくるのでしょう。

それはやはり文化が違います。
教育の仕方やシステムが違ったり、比較して優れていたり劣っていたりする部分もあるかもしれません。

なぜなら歴史が違うからです。
それぞれの国で歩んできた歴史があります。

歴史は環境が作ります。
険しい山岳の環境、森林に囲まれた環境、河川に近い環境、海洋沿岸部、砂漠・・・

それぞれに得られる恵みとともに自然の猛威で受ける被害の種類も規模も違います。

見ているものが違う、考え方が違う、感じ方が違う。
だから結果的に現在に違いができるのです。

だから表面的に真似をしてみたり、それとは逆にダメなところをあげつらって優位に立とうとしても意味がないのですね。

技術を知るには文化を、その文化を知るには歴史を、その歴史を知るにはその環境を。

感染症の蔓延により世界的な需要の低下から供給能力の棄損が進んでいるといいます。
第二次世界恐慌が目の前に来ているとかもうすでに片足をつっこんでいる、という話もあります。
世界的に不安定になっていくこの時代を乗り越えるのに、より深い層まで掘り進めた話をしてもらいたいところですね。

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