代表の佐藤です。
平成31年4月19日、東池袋自動車暴走死傷事故が発生して、早1年半が過ぎました。
この事故は当初、加害者男性が高齢ということ、元通商産業省官僚ということで大きく報道されていましたが、その初公判が行われたということで、先週またその話題が浮上してきました。
検察側は「制御システムに異常がないデータがある」としていて、事故車両のメーカーのトヨタとしても暫くは静観するようですが、加害者側から「心からおわび申し上げます」というのと同時に「車に何らかの異常が生じたために暴走したと思っています」という言葉が出てきたことで、世論が反発を強めているようです。
それについて、「上級国民」というワードが蔓延し、加害者個人の経歴に属する情報からその職業全体への短絡的な一般化がなされ、「純真無垢の庶民」と「巨悪の公務員・上級国民」という国民意識を分断しているような危険な空気を感じています。
また、公権によるより強い管理と、大メーカーによる個人の意識の誘導・制御を、許容するどころかそれを求めている風な空気も強まっているような感じがするのです。
ショック・ドクトリンという言葉があります。
ショッキングな出来事や危機的状況で茫然自失状態になっている隙に、都合の良い価値観を上書きするというある意味での「洗脳」の手法です。
佐藤自身は、科学や技術の進歩こそが人類に脅威をもたらす自然から身を守るための人間の営みそのものである、といつも考えていて、「より安全性能の高い車両」という「概念」が求められていくことについて異論はありません。
ただ、そのことは、人が機械を制しているのか、機械に人が使われてしまっているのかで大きく違うと考えています。
過剰に制御が掛かってしまえば運転手の操作に関わらない結果がもたらされてしまうかもしれません。
運行ログも機械側の電気的操作のみが記録され、本当はブレーキを踏んでいたにも関わらず「調査によると車両の運行ログが残っていて、ブレーキをかけたデータが無くアクセルが全開であった」となることも考えられます。
また公権に関しても、国民がより安全に暮らすための秩序維持であれば良いですが、より管理が容易であるからという理由からなどと監視されることが常態化することには反対したい。
AIが発達し、もうすでにビッグデータの解析結果について結論に辿りついた経路はわからないが結果はどうやら正しいようなので採用する、といったことが発生しているようです。
映画「2001年宇宙の旅」のHAL9000の暴走のようなことが起こらないことを願います。
そしてその暴走を起こさせるのは易きに流れる人々の心そのものであることに気を付けなければいけません。
全体主義は独裁者が引き起こすのではありません。
上級国民叩きのような国民意識の分断、過剰なゼロリスク志向による監視の許容、テクノロジーへの依存・・・
そういった短絡的解決を望む思考停止が全体主義への緩やかな滑落を引き起こすのです。
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