
代表の佐藤です。
前回、経済というものはどういった概念なのかというお話をしました。
為政者が(←ここが重要です)この概念なしに、「お金」をどうこうしようとすると「今だけ、金だけ、自分だけ」という餓鬼道へ堕ち、「世を經め、民を濟ふ」経済とはかけ離れた世界に染まってしまいます。
切った張った、勝った負けた、上だ下だという修羅の道です。
「資本主義とはそういうものだろう」
と思われることもございましょうが、安心してください。「違います」と明確にお答えできます。
民間経済というミクロな世界ではミクロであるが故にそういった椅子取りゲームになってしまいます。
しかし、そもそも民間経済は前回のブログで書いたようにeconomicsであって、political economyではありません。
economicsに対して主義もへったくれも無いのです。
economicsはただのお小遣い帳・家計簿の延長線上のお話しですので。
economicsの知識でpolitical economyを語るというのは、リフティングだけはなぜかうまいけどサッカーを全く知らない人が、どっちがどっちのゴールかもわからないのに、サッカーの試合中継観て上手いか下手かを判断しているような感じなのです。←またわかりにくい例えを(笑)
資本主義や共産主義などイデオロギーのお話はまたの機会に。
本質を知らずして大きな力を振るう危険性
「ゲド戦記」という小説はご存知でしょうか。
アーシュラ・K・ル=グウィン原作で、ジブリ映画にもなりましたので、タイトルは知ってるという人もいると思います。
個人的には小説の方をおススメしています。
主人公のゲドは魔法使いで大賢人と敬われる存在になりますが、少年期に虚栄心から魔法の本質を理解しないまま死霊を呼び出し、魔法の師の命を失い、得体のしれない「影」を世に放ってしまいました。ゲドは少年期のほとんどをその存在に怯え続け、また対峙し続けることとなります。
経済とはこの「魔法」と同じです。
本質を知らずして扱うと、上で書いたように邪道・外道の世界に陥って、一見成功を収めたと思ってもその強大な力で他者を傷つけ、その「影」に常に脅かされ、身を滅ぼしてしまうのです。
ゲドは迷いながら、翻弄されながら、「影」を生み出してしまった自分を呪いながら、しかし魔法の本質に巡り合い「影」を消滅させることができました。
その本質とは「真の名前」を見つけることでした。
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ちなみに「ゲド」は真の名前で、普段は「ハイタカ」を名乗っています。「影」に怯えるようになったのも無知故に「ゲド」を奪われてしまったからなのでした。ネタバレ。
「真の名前」を知られてしまうと支配されてしまうのは、カバラなどいわゆる黒魔術界隈では鉄板の理論です。魔法陣で呼び出した悪魔の真の名前を呼んで支配下におき、悪魔の力=魔力を行使する術が黒魔術であるというのが基本構造。
そしてその黒魔術的思考方法はプログラミングに色濃く継承されており(デーモン、名前空間、メモリ領域展開などなど…そもそも手続きをシーケンシャルに進行すること自体が魔術儀式的)、天才的ハッカーをウィザードやグル(大魔術師・賢者)などと呼んだりするのもそこから来ています。
===↑↑↑脱線↑↑↑===
経済というその巨大な力を善き事に使うか否かは、使用者である為政者の経世済民の心持ちと理解力にかかっています。
ということで、経済の基本中の基本である「貨幣」のそのまた本質について書いていこうと思います。
「貨幣」こそが経済行動の全ての源泉
貨幣というと頭に思い浮かべるのは「金」ではありませんか?
カネではなくキン、ゴールドですね。(金と書くと紛らわしいので、以降ゴールドと致します。)
近年でいうと、70年代のニクソンショックで米ドルがゴールドとの兌換をやめたことが記憶に新しいものでしょう。
記憶に新しいと言いながら、現在生きる世代からするとそれ以前は貨幣と言えばゴールドでしたので、「なんだかわからないけど都合が悪くなって紙っぺらにして誤魔化してる」と考えている人も多いのではないでしょうか。
- おカネと商品が交換できるのは物物交換の仕組みだ。
- ゴールドこそが貨幣だ。なぜなら・・・ピカピカしてるからだ!あと・・・希少?あっあっそうだあと比重が重い!
- それと交換できない今の貨幣は増えすぎるといつ暴落するかわからない。
- みんなこのチンケなコインや紙っぺらを、おカネだと信じているからおカネとして流通している。
- 誰も信じなくなったらこんなものはただの安い金属片や紙っぺらだ。ゴールドみたいにピカピカしてないし軽い!
- そうなったら物物交換が成り立たないじゃないか。そんなものは信用できない。
- 貨幣ノ信任ガー
そんな風に考えている人が多勢ですし、いわゆる「現在主流となっている流派の経済学」もそう考えています。
貨幣というものがわかっていないため、
- 難しい現実はわからないから ←謙虚なのかな?…いや
- 「まとめ易い事象」を集めよう ←おい
- お、どうやら統計的に相関が認められるぞ ←そりゃそうだろう
- その相関と近似する解が求められる数式を作ってみた ←パチンコ攻略法※
- あれ?最近どうやら相関しない ←そりゃそうだろう
- なぜだかわからない ←なぜわからない?
- 理論は完璧なはずだ ←※おい
- なぜだかわからないのは不吉だ ←こわいこわい
- なんかいやなことが起こるに違いない ←アンタがこわい
- 理論と合わないなんて現実が狂ってる ←一線超えたー
- ハ、ハ、ハ、ハイパーインフレが来るぞー! ←はいキレたー
ということになるのです。
学生時代フィリップス曲線などの説明を見てあまりの現実逃避っぷりに後頭部に悪寒が走ったのを未だに憶えています。
貨幣をそのようなゴールド兌換的に考えている(商品貨幣論)が故に、経済政策は迷走し、貧富の格差は拡大し、日本はこの20年先進国ぶっちぎり最下位のゼロ成長率です。
しかし、現在主流の貨幣観は全くの的外れであって、貨幣の起源もそれからの経緯・歴史も、そしてその本質も理解していません。
売買の成立とは物物交換をしているのではありません。
なぜなら、「おカネ=貨幣とは物ではない」のですから。
貨幣の本質は生み出す価値の点数であり、負債という形で表現される
貨幣の起源は、ミクロネシア連邦のヤップ島の石貨を例に見ることができます。
小さいものは直径30cmくらいで、普通は直径60cmから1m余り程度ですが、大きいものになると直径3m、重さ5tほどにもなります。
こんなものをいちいち運んで物物交換していたら、その時間と労力で畑でも耕していた方がマシです。
そのような代物がなぜ貨幣と言えるのかというと、そこには「貸し借りの記録」が刻まれているからです。
ズバリ、これが貨幣の正体、本質です。
と言われても何のことやらわからないですよね。
では、古来のヤップ島での暮らしを想像してみましょう。
A漁師が春先に獲る新鮮な魚と、B農家が秋に収穫できる麦をやり取りするのに、物物交換では説明できません。
なぜなら半年もの「価値の生まれる時間差」がある物同士を単純に交換するには、その時間を埋める高度な冷蔵・冷凍技術が必要だからです。
そこでその時間を埋めるのに、「貸し借りという約束」の「データを記録する媒体」を挟むとどうでしょう。
- B農家はA漁師に魚を10匹もらいたい(需要)
- ので、秋になったらB農家は魚10匹の対価としてA漁師に麦1kgをあげます(借りの解消方法、事業計画)
- A漁師はそのB農家の事業計画を信用し(信用創造)
- 春にA漁師はB農家に魚を10匹あげました(供給・貸し借りの発生)
- 忘れないように、この巨石(媒体)に記録しておきましょう(貨幣発行)
- 借りが解消されたらこの記録は横棒でも引いて帳消しにしましょう(貸し借りの消滅)
いかがでしょうか。見事に貨幣が成立しています。
ここで見るべきポイントは、
- 欲しいという欲求とその解消、つまり需要の創出とその供給がある
- 貸しても返ってくるという互いの信用がある
- 貨幣は物ではなく、需要と供給を点数化したデータである
- 貨幣は借りること、負債が発生することを前提にしている
- 貸し借りが解消されると、貨幣が消える
というところです。
この例では2者間だけの取引きを書きましたが、これを石の記録(データ)を連携させることで多者間での貸し借りも成立することは想像に難くありません。
貸し借りのデータを扱っていけば、B農家はA漁師に借りがあるけどC大工には貸しがあって、D服屋はC大工に借りが・・・・と貸借の記録・データをたらい回しにできるのです。
欲しいものを手に入れることにフォーカスすると、誰かの借りは誰かの借りで・・・と延々と借りが連鎖していきます。
(重要:よって買い物をしただけでは貸借が解消されない=おカネは消えない、ということもわかりますね。)
狭いコミュニティ内の場合、誰が誰だかわかっているので、誰が「信用」を付与したのか流れがわかります。
石貨はこのように成立しているし、石の代わりに綺麗な貝殻でも良ければもちろんゴールドでも良いのです。
ゴールドは組成が安定していて加工性も高いため、データの単位を重量というもので統一でき、広範囲の地域に展開できました。
重量さえ統一されていれば国境を超えても貸借の信用を付与したのが誰であっても問題なくなります。
ある意味でこの辺りがゴールドの通貨としてのブレイクスルーですね。
希少性というより(偏在でなく)遍在性が高くむしろ扱いやすかったというのがゴールドの特性でしょう。
つまり、当時の経済規模においては必要にして十分なゴールドの量が存在したので通貨の本質が誤っていても実生活において齟齬が発生しづらかった。
しかし、産業革命や戦争など経済規模の大幅拡大により、ゴールドとの兌換という縛りがゴールドの不足により足枷となっていきました。
貨幣の本質は生み出す価値の点数であり、負債という形で表現されるといったことがお分かりいただけましたでしょうか。
今回のまとめにまいりましょう。
普段お買い物をしているときの行動とは、
「おカネを払っている側が品物を提供している側に借用証書を手渡している」
ということです。
・・・え?こっちが買ってやってるってのに、借りてるだって?
そもそも借用証書なんて渡してないよ!失礼なヤツめ。
落ち着いて、お手元の千円札でも眺めてみてください。
日本銀行券と書いてありますね。日本銀行が借用証書として印刷しているのがソレです。
日本銀行券とは日本銀行の借用証書ということです。
ミクロネシアのヤップ島は石でしたね。
我々日本人は日本銀行が「信用」を付与した借用証書をたらい回しにしているということです。
「カネは天下の回りもの」
これが貨幣です。
それではまた次回。


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