性能の違いが戦力の決定的差ではないということを教えてやる!

代表の佐藤です。

あ、タイトルはかの有名な赤い彗星のお言葉です。

「そのやり方はもう古いよ。最新の方法を使うべきだ」

何かを変えたいといった時、論拠としてこのようなことをついつい言いがちです。
科学の発展や流行の推移、社会事情の変化に依拠したもので、一見正しいことのように感じますが、果たして。

確かに、ある一つの製品を洗練させていく事に関しては、方向性において多くの場合正しいこととしても問題は無さそうです。

例えば。
iPhoneはバージョンを重ねるごとに処理速度が速くなり、画面がきれいになり、機能も追加されて行きますので、敢えて古いモデルを新たに買いたいと思うようなものでは無いと思います。

なぜなら、iPhoneは単なる空っぽの器で、ひたすらに性能だけを追求すれば良いものだからです。

デザイン的に古いモデルが好きだから使う、というものでは無いんですよね。
まぁ古いモデルを取っておいて、インテリア兼音楽プレーヤーとして使うという用途もありますが(笑)

しかし、それには当てはまらないモノは存在します。

『嗜好』や『価値観』というものです。

嗜好や価値観、世界観が合致してしまえば、性能の低さですらそのモノの『価値』を引き上げる要因にすらなります。
先ほどのiPhoneをインテリア兼音楽プレーヤーとして再利用するのもデザインの嗜好という価値観が介在しています。

なんて堅苦しい書きだしをしましたが、、、単にカメラを買ったんです。

最近、NikonのD70という、2004年の初心者向けデジタル一眼レフカメラを買いました。

スペックはわかりやすいところで610万画素。
後継の最終モデルと目されている最新の2017年モデルD7500では2088万画素です。

その他動画も撮れませんし、連続撮影枚数やら性能で比較したら全く選ぶ必要のないカメラです。

カメラこそ性能こそ正義!の世界なのですが、ところがところが・・・

逆にここまで古いとなんというのか、色々ダメなんです(笑)
↑なぜ「逆に」をつけたのか(笑)

性能が低い云々以前にメモリーカードを認識しなかったりして、

「何?気分でも悪いの?」

って聞きたくなります(笑)
何か意志でもあるのかな、って。
機械なんですけどね。

だから「コイツ・・・捨ててやろうか」と思うのではなく「何とかしてやろう」という感じに不思議となるんですね。
自分が特殊なんですかね?

そしてその「何とかしてやろう」としているうちに自分の性能が向上していくような感覚。
そのものをとりまく周辺の事を調べたりすることで広がる視野。

人から与えられた性能の高さとか正しさとかってどの程度「価値」があるのでしょう?

ヘソ曲がりなのかも知れませんが、「こうあるべきだ」の価値基準を新しいとか性能が高いとかっていう、「外の価値基準」に依存するのは良しとはしてません。

自分がどう思うのか。

それが価値なのかな、と思います。

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