代表の佐藤です。
突然ですが、反社会的勢力というとどのような印象を持っていますか?
いわゆる暴力団とか、それに準ずる愚連集団をイメージするのでは無いでしょうか。
または、政府・行政に対する抗議行動、反政府運動というものも広義で反社会的と捉えられることもあります。
反社会とはいったい何なのでしょうか。
そして「本当に反社会なのは何なのか、誰なのか」。
そのために社会とは何なのかを紐解く必要があると考えられます。
社会は古来の日本的概念では無い
社会とは、江戸時代後期の蘭学や明治の時代、舶来の言葉を和訳する際に創造された新語です。
元はご想像の通り「society」です。
日本が「社会」という単語を創造することで東アジア地域を含む非ヨーロッパ世界に「society」概念が拡散されました。
経緯を書くと相当量の論文となってしまいますので多くを割愛いたしますが、幕末以前の「society」に対応させた言葉は「交る、集る、朋友、会衆・・・」などといった、非常に抽象度の低い、具体的・直接的な人間関係を想起させる言葉群でした。
しかし、幕末以降に日本人が実際に西洋の地を踏み、現地における「society」を深い衝撃をもって体験したことは、インフラ整備、政治、経済から医療・福祉や学術に至るまでの幅広い領域にわたって、多様な団体・結社=アソシエーションが公的な活動力を担っているといったことでした。
福沢諭吉も「society」という概念について「人間交際」という翻訳語を充てており、家族や血縁の間柄を超えて広く他人と交わること、そしてそれを多彩に複雑に活発に展開していく様を「文明」と考えていました。
「社会」という単語が初めて出現したのは1870年代の新聞の論説記事だといいます。
当時の新聞は政府による法的な規制もほとんど受けておらず、相当程度自由闊達な、論説員と一般投書家との間で罵詈雑言も飛び交うような、最近でいうと「2ちゃんねる」のような様相だったそうです。
そんな中で、十分な教養と議論のルールをわきまえた、ともに議論するに値する人間だけが所属することのできる公共圏として「社会」という言葉が作られたのでした。
そのはずでした。
「社会」に公権力が介入する
しかし、議論が白熱するにつけ、個人攻撃や誹謗中傷が飛び交うようになることが問題化していき、その無秩序にルールを与えようとする動きそのものすら議論で優位を得ようとするアピールのひとつと化す事態にも発展しました。
その結果として、政府に対して言論規制を要望する言説すら現れるようになりました。
無秩序で混沌としていながら自由・自治であった世界に公権力を持ち込むことになったのです。
つまり、行政・政府とは元々「社会」の外側の存在でしたが、その社会の無秩序の進行を止めたい「社会側の要請」によって、公権力の規制といった形で介入したのでした。
自由な、いや自由過ぎる言論を飛び交わす「社会」は政府介入により破壊されました。
破壊というとネガティブな印象を与えるかもしれませんが、自由の名の下に行われる非論理的な個人攻撃や誹謗中傷を規制することで、相対的に弱者となりやすい論理的で教養高い言論を守ることが実現されたのでした。
政府とはそもそも反社会勢力
つまり、社会の攻撃的な存在や混乱をもたらす者も、実は反社会では無く、自由≒混沌・無秩序な「社会」の構成要素であり、それとは違うそこに超越した力によって秩序をもたらすことができる存在こそが「反社会」なのです。
作用・反作用ということです。
そう、そもそも政府とは「社会」を構成する要素では無く「社会」へのカウンターとして「社会」に影響を及ぼす存在なのです。
そして介入することそのものが悪なのではなく、その仕方が大切なのです。
ここでトップ画像を再掲載。
右側のグラフが政府による公的社会資本投入の割合です。
日本はこの20年、公的資本投入を半減させました。
すると、左側のグラフのように、日本のGDP成長はゼロからマイナス。
他国は政府が投入した資本と等価かちょっと多いくらいの成長を実現しています。
自動車の値段が高くなった印象があるかと思いますが、その正体がこれです。
「普通に成長している」他国の人にとって、自動車購入にかかる費用は「額」にしては増加していますが、所得の「割合」に対してはあまり変化していません。
逆に「相対的に貧しくなっている」日本人からすると所得が増えていませんから、所得に対する割合が増えるためその分高額に感じてしまうのです。
グローバルな製品として、また資産として価値の変動具合という意味で自動車がわかりやすい例ですので示しましたが、その他輸入品もどんどん値上がりをしています。
弊社扱いの鉄鋼製品に関しても、副資材のコークスなど輸入に頼る原材料の高騰により値上がりし続けている現状があります。
昨年末から木材も高騰しています。
当然、輸入先の需給バランスによって国内消費量が増加しているため、そもそも材自体が値上がりしていることもあります。
為替も関係するため他国の貨幣価値がそのまま影響を受けるものではありませんが、海外における「普通のインフレ=経済成長」の影響は高くなることは間違いありません。
むしろ積極的な為替介入による円高誘導で輸出は高価に、輸入を安価に制御している状態になっています。
つまり、公的需要を喚起しないことで国内産業が成長することには介入せず経済成長を疎かにし、海外・グローバル企業への利益誘導を行ってきたというのが、現政権だけに止まらないこの20年来行ってきた「社会」への政府介入ということなのです。
まさに「反社会勢力」。
この20年の政策は、強者・弱者のパワーバランスを取るような秩序をもたらすことは無く、より強いものが強く、弱いものが踏みつけにされるというこれもまた別の秩序がもたらされました。
しかし、これは「政府が悪」と言っているのではありません。
先述の「社会」の説明のとおり、「社会」の内側の要請によって、外側の存在である政府は介入します。
このような国内産業を貶めて、海外へ利益誘導をすることを「社会」つまり日本国民自身が望んだ結果である、ということなのです。
日本人は自ら貧乏になることを自らの意思で選択し続けている、ということです。
世界とは剝き出しの欲望そのものが支配する「社会」
日本の「社会」つまり我々日本国民が日本のため、日本国民のために何が必要なのかを自身で考えるのを止め、「何かの正解のようなもの」を「社会」の外側に求めてきたことで、日本社会はボロボロになり、日本社会の外側の世界は発展・成長しつづけているということなのです。
「何か正解のようなもの」とは、ガラパゴス化を悪と見なしたり、財政均衡を至上のこととしたりすることです。
これをイデオロギーといったりします。盲信とも言えます。
そして日本社会はそれによって何の益も得ていません。
これからますます日本社会の外側の、無秩序で混沌な世界は、欲望を剥き出しにして自らを優位にすることを推し進めてきます。
米中の新冷戦がまさにわかりやすい事象です。
ユーロ圏も同じくであり、英国のEU離脱がひとつターニングポイントとなり、今後巻き戻しが起こってくるでしょう。
世界という社会の外側には、世界政府というような超然的存在の公権力「反社会勢力」はありません。
誰も守ってくれない弱肉強食こそが「社会」です。
日本は日本のことだけを考える。
これが当たり前であり、そうでなければ無秩序と混沌に飲み込まれるだけ、ということをすべて日本人は改めて認識しなければいけません。
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