パラサイト田宮良子に学ぶ地球に寄生する獣、人間

代表の佐藤です。

 

よく、多読を自慢(?)する人がいるのですが、佐藤の持論としては読書は数をこなすものではなくて、何度も同じ作品を読み返すことで多面的に解釈したり、時間経過による自分の考え方の変化だったり時代の変化だったりによって、印象が変化したり深化するものだと思っています。

その多面的な解釈をする為にもある程度の数、作品に触れる必要はあるとは思いますが・・・

それは小説や文学でなくても良くて、辞書や図鑑、技術書だったり学術書、さらには活字ですらある必要もなくて、漫画・アニメ・映画・ビデオゲーム・・・etc.

その作品からのみ得られる感動・感覚も大切なのですが、その他の作品やニュース、身近に起きた出来事、自分の趣味などといかに「接続」できるか、そしてそうやって作った脳のニューロンによって何かしらの見識を見つけられるかが大切だと思っています。

「寄生獣」という漫画はご存知でしょうか。

連載当時はたしか佐藤は高校生だったので、もう20数年前の漫画です。
最近、これまた漫画の「ベルセルク」という超長編未完成作品の作者三浦健太郎先生がお亡くなりになったこともあって、ベルセルクを(何度目か)読み返す中で、同時代の漫画を読んでいるんです。

 

───地球上の誰かがふと思った
『人類の数が半分になったら いくつの森が焼かれずにすむだろうか……』

───地球上の誰かがふと思った
『人間の数が100分の1になったら たれ流される毒も100分の1になるだろうか……』

───誰かが ふと思った
『生物(みんな)の未来を守らねば……………』

 

日常から非日常に。そして非日常から以前とはまた別の日常に。

共存、共生が描かれています。あまりスッキリしない形で。

 

先週、件の感染症の報道で「おもしろい」記事が出てきました。

コロナに意図的に感染、英国で進む治験に賛否 ウォールストリートジャーナル
https://jp.wsj.com/articles/researchers-infect-volunteers-with-coronavirus-hoping-to-conquer-covid-19-11630960751?reflink=desktopwebshare_permalink

この感染症こそ、日常を非日常が覆いつくし、未だ非日常の中で非日常の対応を続けているものです。

何とか「以前の日常」を取り戻そうともがき、感染自体を防ぎ、感染しても重症化を回避しようと躍起になっている。
解決しようとしている。
白黒ハッキリさせようとしている。

しかしそれではいつまでも非日常のままです。

日常は解決をしません。
スッキリしません。
白黒明暗ハッキリ区別のついているものなどありません。

先ほどの記事から引用しましょう。
───英国では、臨床試験で四十数人のボランティアが、コロナを鼻から注射器で注入している。

英国は「日常」に向かって小さく、しかし確実に一歩踏み出しています。

 

「あわせて一つ 寄生生物と人間は一つの家族だ 我々は人間の子供なのだ」
「我々はか弱い それのみでは生きてゆけないただの細胞体だ」

「だからあまりいじめるな」

寄生獣第47話「人の子の親」 パラサイト田宮良子の結論

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