代表の佐藤です。
太閤豊臣秀吉による朝鮮出兵について、バックボーンを理解せずに事象だけを見て「地位に溺れた」「支配欲の暴走」「ボケ老人の発狂」などと考えている人が少なからずいるようです。
全くトンデモナイ話です。
当時、世界帝国スペインによるアジア植民地化が進み、目と鼻の先フィリピンにまでおよんで来ておりました。
(ちなみにフィリピンとは、スペイン国王フェリペ2世に因んでいます。)
秀吉が九州御幸の際に日本人がポルトガル商人によって奴隷として連れ去られているという実態を見聞きし、激怒。
フィリピン総督府へ猛烈な抗議を行っています。
「キリスト教弾圧」とされている事象も全てこの文脈の中にあります。
この危機感は大変なもので、フィリピンから沖縄を経由する海路による侵略に備え、前線基地として佐賀に名護屋城を築きます。
その海路による戦略に関しては、兵站上護り側に非常に有利であるため問題はありませんでしたが、問題は陸経由の進路です。
台湾から中国(当時は明)を通り、朝鮮半島から対馬の経路(元寇と同様)ともなると、明という巨大市場を確保していれば兵站は無限。
秀吉はスペインに明を押さえられる前に、明をとる、少なくとも朝鮮半島を防御壁として確保する必要がありました。
当時世界一の鉄砲を保持していた日本ですから、世界帝国とはいえ遠隔地の日本を攻めるのに利がないことを示す必要もありました。
文禄の役では朝鮮半島を北に一直線に攻め上がっているのに対し、ヨーロッパの戦線でイギリスにスペイン無敵艦隊が敗退する事に端を発した世界帝国衰退の進行で、スペインによる日本侵略のリスクが無くなった事を察知した日本勢は、慶長の役では引き上げるための戦にスイッチしています。
上図の右下で「苦戦」と説明しておりますが、教科書書く人ももう少し戦というものを理解された方が良いですね。
戦線からして完全に退却戦、殿戦(しんがりいくさ)です。
秀吉は狂っているどころか、圧倒的暴力を有した世界帝国による侵略、植民地化、奴隷化から日本防衛のため全力で抗ったのです。
確かにその戦場にされた朝鮮半島と、明はたまったものではありませんが・・・
当時の秀吉やそれに従う大名たちはそれだけ世界を俯瞰して見えていたのです。
現在、ロシアとウクライナの戦争が行われていますが、これはロシア対ウクライナではありません。
なぜこのような状況になっているのか、よく理解する必要があります。
プーチンによる2月24日の演説に膨大な情報が詰まっています。
正義と悪が戦っているのではありません。
お互いの正義と正義がぶつかっているのです。
ウクライナはロシアにとって最後の壁「ウォール・シーナ」という事ですね。
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