みなさま、こんにちは。北川です。毎日暑いですね!
お盆の避暑に軽井沢へと家族でいくことになりました。
「冬の熱海 夏の軽井沢」は越冬と避暑の隠遁地として関東では歴史があります。本日は軽井沢のあらましや私的個人史をてらしあわせながら筆を進めます。 おなじみの中華「希須林」が改装を来月7月までおこなうそうで、現在は臨時休業中ながらちょうど8月に新装開店とはありがたいことです。
☝万平ホテルそばにあるヨーコ・オノさんの別荘 白樺などが多い林の風景がご当地の特徴
わたくしが彼の地を訪れたのは、小学生時分に父の勤務先保養所にて毎年所属部署メンバーで連れだって休暇をすごすため、現地集合・解散で毎年のようにあつまっていたことからはじまっています。いまおもうと、社宅のような気まずさ、上下関係等のめんどくささを長野へ持ち込み、プライベートでも呉越同舟していた前時代的休暇のすごしかたですね。そもそも大型法人が保養所や社宅を自前でもつ必要もこの40年のあいだになくなりました。
当時は稀な南部さんという女性エグゼクティブ(部門長)をかしらに、父の当時所属チームざっと登場人物10名くらいを朧げに記憶しています。父は部下をかわいがるあまり、うちに連れてきてなんとわたしと弟のプール遊び付添いまで頼んでいたのです笑 いまならパワハラなのかな。ただ、わたしもその男性部下が入院されたときお見舞いにいったくらいなので、あまり公私の区別をつけない時代だった気もします。とはいえ、母は亭主の勤務先同僚・上司と「休暇先でなかよく」しなくてはならぬのが不満だったようで(人見知りゆえ)別行動をとる日もありました。わたしの母はどちらかといえば、気難しい他人に合わせるのを疎む人物で、わたしもやや血を受け継いでおります。
当時、夜は庭で花火をしたり、30畳くらいの共有リビングで飲酒やこどもたちはTVをみたりトランプ・雑談をしてすごすことたびたび。なかには商社マンの長男ながら「警察官」のにいさんがよく休みをあわせて帯同していました。わたしの祖父、父はおなじ会社のサラリーマンだったため、父親とまったく違う職業選択する例をはじめて知ります。といいますのは、小学生のころ友だちのいえに遊びにいくと二世帯同居のおうちもなかにはあり、おじいさんと話しているとたいてい親子代々会社員の家庭が(生育地の中野区では)多かった印象があります。公務員という身分・公僕の職業をはじめて知ったことをいまだに覚えています。ちなみにわたしの母は岸和田の小学校教員、その祖父は市役所勤務だったわけでどちらも離職してかなり年数たっているがゆえ、身内でその詳細をきくことはなかった。
そんなこんな、父の会社では上司・部下・同僚同士が家族帯同であそびにいくことは多かったようにおもいます。その行先のひとつが軽井沢でした。毎日なにをたべていたのかは不思議とまったく記憶にない。警察官のおにいさんとの大人の会話が脳裏にこびりついています。それとプロ野球に関してあれやこれや雑談、湖畔のサイクリングだとか。みなさんまずまず仲良かったので、わたしも楽しかったことはいうまでもありません。
そんな子ども時代を経てひさびさに再訪したのは、結婚したころ文化学院山荘へ泊まれることになり、妻と二人で山の中まで実家の車を借り運転していったときにまで遡ります。山中でも大層暑かったのを覚えています。栄林のスーラタンメンが大好きな妻はホクホクしてました。そのころは妻にレンズをむけるとにっこり笑顔で写真におさまる器量もあったのですが、後年、カメラをわしにむけるなと芸能人のような不機嫌さをみせるようになります。もっとも中高年女性は相当にヘアメイクや服装を決めた時以外、被写体になるのをいやがります。中高年でいてインスタに自撮りを頻出させるのはまめな芸能人か承認欲求のかたまり、つまり仕事用だけです。結婚したのち2回目の訪問は、せがれが4-5歳ころ新幹線にのれる、みれるという理由だけででかけてゆき、かえりしな、軽井沢駅そばの蕎麦屋でえらく待たされたことしかおぼえていません。
そこから8年ぶり、今回は車で2時間かけ完全避暑(電車乗り換えなどの徒歩は完全になくす)ドアtoドアでの旅の予定としました。かつて文化山荘にいったさい、あまりに早く着きすぎチェックインまで時間をつぶしていたことを考えると、当時はお金がなく寄り道で散財したくなかったんだな、、と思い起こします。15年まえ当時も暑くて汗だく。朝晩は山中すずしいものの、ひるまは日本なら道北までいかないと寒いといえない。道南でも32°は逃れられないと札幌民にいわれ時代の変遷をかんじました。日本中がいつしか亜熱帯のようにかわり、ゲリラ豪雨が各地頻発するようになったころです。
とはいいましても、軽井沢に森や湖畔など自然がいまも多く保全されているのは事実で、樹木が多い分すこしすずしく感じるものです。路線バスが集中しなければ鎌倉ほど道も混み過ぎない。じゅうぶんにコクド堤康次郎さんが夢想した快適な避暑地のままであるとおもいます。たまに浅間山噴火はあるんですけどね。プリンスリゾーツ皇室御用地の払い下げ活用はよく知られていますものの、たとえば那須に今上別邸があるのは皇居からの移動時間や滞在地の風光明媚など総合的にバランスよいおかげなのかなとおもっています。堤さんはうまく便乗したわけですね
おもえば、軽井沢は現星野リゾートこと「星野屋旅館」創業の地でもあります。現社長は経済合理性をおもんじメディア露出もふくめ、多角化・多店舗化とホスピタリティの均一化により成功をおさめられています。まして星野さんだけでなく、旧軽井沢の老舗みなさま、プリンスHR(コクド)、三井不動産のスクラムによって軽井沢の隆盛はいまもつづいているのです。とはいえ、万平ホテルなど旧軽井沢文化を愛する別荘族とも軋轢なく共存をはかってきたハイブリッドリゾートではないかなとおもっています。
おなじように都内から2時間でアクセスできる有数リゾートに「箱根」、そして未着手であった「日光」があります。
箱根はなにしろ豊富な温泉を誇り、伊豆と地続きの「風光明媚」が燦然と消えることないデファクトといえます。
そして、満を持して東武鉄道がリッツカールトンを開業させた日光。こちらは東照宮ほか荘厳な観光資源、幽玄の山々が爾来なかなか投資を呼び込めず、スカイツリー開業をフックにようやく東武遅咲きのチャンスを持続させているところです。けしてリソースはわるくなくプロモーション設計、企画が東武ならでは地味かなという印象。箱根ロマンスカーによる旅情醸成プロモーションはJR東海の「そうだ、京都いこう」くらい歴史がありまして、東武もそれくらいけごん、大樹など鉄道のブランドを軸にじんわりプロモーションをつづけることでせっかくの観光資源を有効化できるのではないかとおもいます。
軽井沢が次第に別荘族の高齢化で衰退していくのでなく、息吹をつねにあたえられ続けていくのはリゾートにおけるグランドメンテナンスの鑑といえましょう。ちなみに星野はこども連れにフォーカスして大成功、かたや大人料金をはらう倅とではリゾナーレ八ヶ岳くらいしかもはや楽しめませんね、、、
そう。山梨県こそつぎの宝の山だとわたしはおもっているのです、都内から近いですし。昨年は韮崎と甲府をおとずれ未染手の感を強くしました。甲斐犬たちが尾を振り待っているのでことしは山梨に注目しています。インバウンドに頼らぬオーバーツーリズムを回避した旅先として。ないしょです。
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