みなさま、こんにちは。北川です。
過日、来日を果たしたダムドについて本稿でご紹介しました。その内容にて元祖パンク(ゴシック)のパイオニアとして日本でもバンドをはじめる若者たちに影響が大きかったと記したのですが、日本で有名になったパンクバンドのひとつにジ・ウィラードがいます。
1982年デビューなので40年以上バンドは続いていることになり、もはやオリジナルメンバーの帯賀淳さん(上記ジャケ写人物)しかいません。ソロユニットというかライブのたびにメンバーをどこからか集めてくる。JUN  BLEEDとは初期の芸名で、スターリンでギターを弾いていたころのレコーディングクレジットのことです。
このながいながい40年。結構横目にみていてはこの10年新曲もパラパラだしてくるので、聴いてみるとたいていかっこいい。わたしの好みなことが多く、独特な語彙をつかうJUNのセンスと曲のよさに感心します。自主制作時代の最期にキャプテンからリリースしたフルアルバムはアナログ再発を運よく買え、いまもたまに愛聴しています。
80年代自主レーベルのころでいうとジャケットのデザインがお金がなくても十分カッコよかった。RECでも当時、捧げ銃の銃声をどこかのレコードから拝借しダビングしてしまった、Vanguardが大好きでした。自主制作なので著作権許諾をガン無視笑 当時コピーライトフリーの音源集があったのかな...
ウィラードが東芝EMI(現在はユニバーサル。アーカイブごと吸収)と契約したのは1987年。シンコー・ミュージックとマネジメント契約をむすびパンクの魂を金と引換えに売り渡したと揶揄されましたが、どっこいあっという間にコロンビア・麻田事務所に移籍するのですから、JUNの天の邪鬼も筋金入りです。そしていまも。
コロンビア時代には穴井仁吉さんも一時加入し、当時リリースされたFunny Fearsは名盤誉れ高い。
すこし話はそれますが、くるり というバンドがいます。京都出身でたいそう人気があり、京都で音博というフェスも主宰している、業界でも無視できない存在であります。くるりも30年くらい歴史はありますが、岸田繁さんというリーダー(ソングライター)のワンマンバンドとされ、どんどんメンバーが辞めてはバンドの有り様は変わってゆくのです。
つまりウィラードもおなじで、JUNの唯我独尊にみんな我慢ならず、でてゆくというわけです。おそらく自分でもわかっているわけでしょうが直らないし、バンドを続けるとはスタッフを巻き込んだ政治の舵取りでもあり。強権をもつものがバンドの名をなのれる基本原則があります。
これはイギリスのThe WHOでもおなじ光景がくりかえされた歴史があり ロジャー・ダルトリー(ボーカル)は滅法ケンカが強く、みんな辟易して辞めようとしてもマネージャーがなんとかいいくるめて仕事をこなしたそうです。
そんな類稀な人格のJUNさんもきづけば60歳。きままにハーレーを乗り回し、数年に1回リハとレコーディングをして、年に数回ライブをスタッフと企画制作し本番をおこなう。いつなんどきでも自由謳歌の人生をおくる、不老不死にみえる孤高のバンドマンの姿はだれにも真似できません。もはやダムドとおなじくらい立派な大名跡ブランドにもおもえます。
いわば落語協会・理事のような燻し銀の老舗バンドなのですが、ライブ物販にもたいしてやる気みせず、大きな事務所のバックアップないこのバンドがなぜ赤字を出さず?活動継続しているのかは永遠の謎です。
毎々拙文ご精読をありがとうございました。
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