20歳の時にリベラルでないのなら情熱が足りない 40歳のときに保守主義者でないのなら思慮が足りない

代表の佐藤です

先週、"いわゆる巷でいわれてるデジタル化"について書きましたが

要するに、デジタルは単なる手段・枝葉であって本質的なところ、幹というものが寛容だという話
デジタルはアナログに代替するものではなくて、アナログを補強する道具としてデジタルは存在するのです

便利になる部分は積極的に使えば良いし、使いたい人は使えば良い
しかしそれを強制されるのは問題です

よく、保守 対 革新 といった形で二項対立になりがちです

しかし本来は根幹となる主体があり、それを保守するのに伝統的手法を用いるか革新的な手法を用いるかなのです
手法に合わせて主体の存在が大きく改変、制限されてしまっては元も子もありません

有名な例えとして、飛脚の食事があります

幕末の頃、日本にやって来た欧米の医師が一日200Km位走る飛脚の運動量に驚き、その食事がおにぎり+漬物程度の事から、西欧の肉料理を食べさせたらもっと走れるようになるのではないかとそういう食事をさせるとまったく走れなくなった、といいます

骨格、筋肉の質、腸の長さや体内の細菌など多くの部分が違うのに、良いとされる手法を一方的に与えても逆効果になるという話です

二項対立が成立するのは、主体をその瞬間には大きく変えない(大きな時間軸では徐々に変容していくことはあるにせよ)ことが前提となるはずです

そもそも保守することが根幹なのです

保守する上で、伝統的手法と革新的手法をバランスよく取り入れることが重要・寛容
よって、保守vs革新というのは成立しないのです

伝統ある物事というのは横軸(現世代)と縦軸(過去、未来)があり、人体と同様、自動車などのように古くなったらモデルチェンジした新車を買い替えれば良いという話にはなりません
そもそも骨格、筋肉の質、腸の長さや体内の細菌というものがあるのですから

20歳の時にリベラルでないのなら情熱が足りない 40歳のときに保守主義者でないのなら思慮が足りない

若いときにリベラルを通っていない自称保守は、情熱も思慮も足らないために大人になってからリベラルを拗らせる傾向ありますね

伝統と悪習の別なくなんでも改革してしまうリベラルの思慮のなさは然に非ず
悪習と伝統の別なく盲に過去に倣って行動してしまうのもまた保守に非ず

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