代表の佐藤です。

自動車レースに参加するのを趣味にしていることを以前から書いています。

自動車レースの魅力は、人がどうあがいても出力できないパワーで、自重の10倍はある重量物を高速移動させ、それを「人」が制御することだと思っています。
その大前提があった上で、それを誰が一番上手に操って、速く遠くに到達させられるか。
この「人」の存在がレースのカタルシス、心に響くところだと佐藤は考えています。

しかし、そうでは無く、とにかく速いことを第一義的に考えている人もいます。

F1では数年ごとに車体のルール変更が行われています。
速くなりすぎたレースカーの安全上の問題をクリアすることと、高度になりすぎた故にコース上での抜きつ抜かれつの競争が難しくなっていることへの解決として行われるようです。
それらはだいたい、車両を「遅くする」方向への調整を指示することになっています。
でも数年、いやそのシーズン終了間際頃には、新たなルールの隙間を縫った新たなエンジニアリングによってルール変更前より速くなってしまいます。

いかに速さという正解に辿り着くか、という騙しあい、マウントの取り合い。
ドライバーはそういった「いびつな」車両にいかに対応するか。

つまり、その機械はドライバーが操作しているのではなく、ドライバーが機械に操作させられているのです。

わざわざ「遅くする」ルールを複雑なエンジニアリングで制限する形で行おうとする考え自体に、「人間不在」を感じざるを得ません。

もっと簡潔に、根本的に解決しうる方法があります。

近年のレースカーはパドルシフトといって、ハンドルに搭載されたスイッチを操作して、電動制御されたシフトフォークによって機械がギアチェンジを行っています。
機械が行うので、(故障が無ければ)ミスもなく、クラッチ操作の空走時間もなく、瞬間的なギアチェンジが行われます。
今後(無いとは思っていますが)EVが主流となれば、そのギアチェンジすら必要無くなることになります。

速く走るにはギアチェンジが無駄なのです。
自動車を操る上で、本質的には必要なのは、ハンドル操作とブレーキ・アクセルなのであり、ギアチェンジは必要のない要素だと考えられているのです。

たしかに、ギアを選択してHパターンのシフトゲートにシフトノブを入れる行為は必ず片手運転となるし、ギアチェンジには駆動を切断するクラッチ操作が必要となり、「遅くなる」要素で、それはつまりレースカーはなにより速いことが命題と考える人にとって無駄以外の何者でも無いでしょう。

しかし、これは人が操作する上で大きな差が生まれやすい要素です。
操りきれないパワーは不要となりますし、ドライバーの技量によってオーバーテイクも多く見られるようになることでしょう。

でもそれはやらない。

なぜなら、人の技量という不確定要素が大きくなりすぎて、「正解」に辿りつきにくくなるからです。
トップカテゴリのレースは特に、技術の見本市、マーケティングのエンタメ化とも言えるでしょう。

それでもファンは熱狂しているのだから幸福なのではないか、という考えもあります。

しかしその熱狂は、勝った/負けた、正解/不正解の二元論にあって、どこか戦争のようでもあります。

戦争は確かに科学技術を進歩させて、人間社会に便利を増やしました。
しかし、その便利ははたして人を幸せにしているのかどうか。

便利をうまく活用できる正解の人が勝ち、うまく活用できない不正解の人が負けるのは必然。
そこに響くものはありません。

ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』とそれを支配する神人/超人の世界。
ヒトラーは予言しています。

便利を否定するものではありません。
不便を目指そうというのではありません。

不正解が許される、済われる、報われる世界を目指さなければ、ますますナチズムに堕ちていく世界が止まりません。

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