常識を疑え、ではなく常識ほど疑え

代表の佐藤です。

スポーツでも勉学でも何事もそうですが、よく言われるのが「基本が大事」という言葉。

基本の「型」があり、それを寸分違わず習得することが大事、という理解が多方なのかと思われます。

本屋さんに行くと、成功者のビジネスマインドとか、トッププレイヤーのスイング解説とか。
野球ならピッチングフォームとかバッティングフォームとか。

微に入り細に入り、「正解とされる」ものをトレースすることが「基本」だと思われています。

結果が出ているのだから、それを真似ることで同じ結果を得よう。
そういった考えなのでしょう。

しかし、物事には因果関係というものがあり、かつ因果は1:1とは限らず、1の結果から無限の因子、1:Xの関係が得られます。

例えば、あえて極端なことを言えば、空に向かって祈りを捧げたら雨が降ってきたので、雨が降らなくなったら祈りの儀式を上げる、というような。

つまり、結果を真似てもその結果をもたらした原因、原理にたどり着けるとは限らないのです。

もちろん、いわゆる「基本」とされる行為の中には成功に辿り着く因子が眠っていて、失敗の真似をするよりも運良くそこに辿り着ける可能性は高いと考えているのかも知れません。
しかし、「失敗は成功の母」という言葉があるように、当然失敗の中にも成功の因子が眠っています。

よって、単に結果を真似るという事には、実は再現性の劣化はあれど優化は考えづらい。
対等またはより優れた結果を得るには、成功・失敗無関係な多くの結果から原理を追求する帰納法的思考と、そこで得られた一般原則を用いた成功結果をもたらす手法を生み出す演繹的思考が必要ということになります。

しかも一度帰納して生み出した原則から演繹した多くの結果の中にも多くの失敗が生み出される可能性もあります。
先述したように、結果1:因子Xとは逆に、因子1:結果Xということも言えるということです。

その多くの結果からまた帰納して新たな原則に辿り着く必要があるのですね。

つまり、「基本」とはこの帰納による「原則」「原理」を指さなければならず、世にあふれる「基本」とは「演繹済みの結果の模倣」に過ぎないという事です。

世にあふれる基本、常識はそのまま未消化で扱うのではなく、よく咀嚼して消化する必要があるということです。

速い思考ではなく、遅くしかし深い思考。

現在社会の色々な多くの不具合には確実に「原理」の無理解、理解の齟齬が存在します。

そのようなことを多く書き連ねています
https://blog.kk-takagi.co.jp/category/意識高い系低血圧/

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