みなさま、こんにちは。北川です。
台風が3つ発生中で気が気ではありません。
先日、云いたくないことは訊かないで。という記事を書きました。そもそもは、ある知人と疎遠になるときに感じた違和感についてという内容。
今回は自分がフィットするコミュニティ、そうでないコミュニティとの違い
ある気づきの基準について書きます。30年前のお話しです。
大学に入学したわたしは、知人から毎日1回錬、寮なしときいていた水泳部の勧誘カウンターにいき、練習参加の約束をしました。当時自ら門をたたく人はすくなかったようで、カウンターにいた加藤さんもたじろいでました笑のちにその素朴な人柄には癒されることになります。
翌年からはこの「新人勧誘」を自分らがやることになるわけで
いまもって1年下の明学高校水泳部からあがってきたSくんに、オープンハウスばりの強引な引き込みをしてしまったことを悔やみます。ワンゲルに入ろうと決めてました、とおずおず明言したので諦め謝罪したのですが はっきりと自分の意志を告げるのが苦手な人の存在を20歳にして初めて知りました。その当時は恥知らずなわたしの鬼押出しのせいもありますが。
わたしはいついかなる時も、自分のおもったことを基本すべて述べてきた人生でしたので交渉において無言のひと、はっきりした物言いをしない場合に、こちらが譲歩し配慮しなくてはいけないことを深く学びました。
勧誘(選手、マネージャーの入部勧誘。一切お金が絡むことはない)を毎年50人くらい説諭に2年間はげんだのが「営業」の試金石だったのかも。
はなしを戻します。
入学して気づいたのは同期9人のうち、千葉に住んでいる民が4人もいたことです。しかもかれらは一様に公立高校出身だったので、育った環境がわたしとはかなり違いました。彼・彼女らのなんというか異文化には、最後まで馴染めなかった、というと人聞き悪いですがなんともいなたい感覚、地元が一番的な自己主張の展開につい無言になってしまうこと多々。
そんな違和感は、埼玉県N市の立大水交寮にプール掃除や練習で度々行くようになって深く自覚しました。それはなぜか。
彼らの同学年は付属高からあがってきた選手ばかりだったのですが、明学の先輩から「お前だけ、なんでそんなに仲いいのか」といわれるくらいになぜか気が合うのです。洋服や好きな音楽のはなしやら。1年前から友だちだったみたいに、向こうも距離感なく話しかけてきてじつに楽しかった。その比較において、千葉の民との違いを痛感せざるを得なかった。
千葉民たちは立大選手とはよそよそしく、余計にそう感じたというか。どうも立大を煌びやかなブランドと思い込み近寄り難かったと後で聞きました。どうやら私立高校ならではの遊びや趣味があるのかなと初めて気付きます。今話題の塾高や友だちの青学付属らもその類だったようです。
大学生の水泳選手は試合等々で他大学との交流関係というのがありましていろんな情報交換をしたり、新人スカウト情報も共有したりします。
それと毎シーズン誰がベストタイムを何秒更新したか、種目を変えた、怪我病気をしたか、等々。試合でじぶんのチームになにか有利に働く情報があるのかをざっくばらんに会話します。インカレシード校と違い、リレーメンバーなども事前に明かしたりしていた牧歌的な時代のことです。
わたしは当時、主務がやらない仕事をする渉外役員を務めていましたので、余計に国内合宿候補地の情報などを外部とやり取りしていました。OB会に協力の陳情にいったり。
たまたま、わたしが物怖じしない性格で誰とでもフランクにはなすタイプだったので、立大選手にかぎらず誰彼構わず別け隔てなく話せた。よく考えると千葉の民たちは真逆の内弁慶であるだけで、それが私の感覚に合わなかったのかな、と後年思うようになりました。
但し、それは性格や考えかたの違い、そもそも育った環境が違うため生じるものですから、否定できるわけはありません。
それは昔もかわらず。ある勧誘失敗からまなんで、あまり自分の主張を人に言い過ぎないようになりました。特に利害関係がない場合に。
サークルの生温い体質が肌に合わず、体育会に入ったはよいがなかなか人間関係に苦労します。自分の役割としての仕事は粛々として問題なかったのですが。
競泳はリレー以外個人競技なものですから、わがままな選手がじつは多いもので、どの学校も特にキャプテンはみんなと意思疎通をとりなんとか纏めるのに苦労します。
特にスイミング育ちのタイムが速い選手は上下関係を嫌う傾向もあり、理由なく練習にこなかったりします。しかし試合では態度が悪かろうが結果を残すので黙認されたり。このような形成ルールのイレギュラーは不満を生むもので、速い選手はわがままが許される文化は本来そぐわないのですが、チーム事情で駒が足りない場合やむなく認めざるを得ません。
その整合をとるため、話し合いで速い選手が辞めたりということはありました。
その点で、立大選手たちが比較的うまく調和できていたのは、当時付属高からきた選手が圧倒的におおく、互いによく知る人間たちがうまく緩衝していたのと、名伯楽 故平賀監督の手綱さばきかなとおもいます。
チームワークとは一筋縄ではうまくいかないな、とつくづくおもってましたが、隣の芝生はとてもキレイ。その理由はそんなところでした。ただし、寮で毎日いっしょにいるとやはり他人ですからなかなかストレスが溜まると鬱憤を聞かされたことはあります。
わたしが苦労した人間関係とは、他愛ない自己主張が強い同期たちとうまくやることでしたが、引退して他人に合わせる必要がなくなった生活の爽快感たるや。1億の借金が急に消えた気分でした笑
自己主張のバイアスが強い人たちといっしょに長くいるのはどうも性にあわないみたいです。当時は話し合いで摺合せする知恵が到底なかったですし。
とはいえビジネスを目的とした組織ではなく、学生のコミュニティとは若さ故自己主張でひしめき合うのは当たり前ですね... 人間の好き嫌いをあからさまに公言するのにほとほとまいりました。先輩と敬語で話してる方がまだラクというものです。
ちなみにですが。
立大水泳部では入寮するとまず人前で一人称を「私」と云うように教育されます。大人っぽくてかっこいいなと思っていました。いきなり10代の若者が就活みたいな言葉遣いなのですから。自衛隊でいう「自分」より洗練されてますしね。
以上、毎度拙文のご精読を有難うございます。
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